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東京地方裁判所八王子支部 昭和47年(ワ)85号 判決 1974年4月22日

原告

伊藤勝男

ほか一名

被告

小平市

ほか三名

主文

被告らは各自、原告伊藤勝男に対し三七三万九七五六円、同伊藤美登子に対し三五七万八〇二六円および右各金員に対する昭和四六年九月一六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その四を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

この判決は原告ら勝訴の部分にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは連帯して、原告伊藤勝男に対し五〇四万五七五六円、同伊藤美登子に対し四八二万八〇二六円および右各金員に対する昭和四六年九月一六日から完済に至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告四名の答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (事故の発生と原告らの関係)

(一) 昭和四六年九月一〇日午前八時一五分ごろ、東京都小平市花小金井南町一丁目一四四番地先の、志木街道と鈴木街道が交差する交差点(別紙図面参照―以下「本件交差点」という)において、右交差点の南側横断歩道上を田無市方面から小平団地方面に向つて横断歩行していた訴外伊藤勝美(当時小平市立第八小学校三年在学中の満八才の男子、以下、勝美という)に、志木街道を東久留米市方面から小金井市方面に向つて本件交差点を通過進行していた被告石坂尚市運転の足踏式自転車が衝突し、右勝美はこれにより転倒して脳挫傷の傷害を蒙り、これがために心不全を起して同月一五日医療法人社団健育会桜堤病院において死亡した(以下「本件事故」という)。

(二) 原告らは勝美の両親である。

2  (事故の原因)

本件事故は、被告石坂尚市の過失行為と被告神谷勝世の過失行為とによつて惹起されたものである。

(一) 被告石坂は前方に注意を払わずに本件自転車を運転進行させた過失により、横断歩道上を歩行していた勝美に自転車を衝突させ、よつて本件事故を惹起せしめた。

(二) 被告神谷は、通称「緑のおばさん」と称せられている学童交通擁護員として昭和四三年一一月から被告小平市に勤務する同市の職員であり、本件事故当時は小平市立第八小学校に配属されて同校校長である被告三井武の指揮監督の下に、学童の登下校時本件交差点を中心に通学途中の学童の安全を確保する業務に従事していた者であるが、昭和四六年九月一〇日午前八時一五分ごろ、本件交差点の南側横断歩道の東側歩道上(別紙図面(イ)点付近)において、前記業務に従事していた被告神谷としては、現示信号の確認を十分に行ない、かつ車両の接近等、横断歩道を通行すべき学童らに対する危険の有無を見極めて、右横断歩道が横断する学童の安全を確保し得べき客観的状況にあることを確認したうえ、同被告の横断開始の合図を待つ学童らに横断開始の合図を行ない、もつて横断歩道を歩行する学童らの安全を確保すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、別紙図面(イ)点付近に東久留米市方面に背を向け、小金井方面に向いて立ちながら、志木街道を東久留米市方面から小金井方面に直進する車両や、鈴木街道を田無市方面から小金井方面に左折進行する車両、同街道を小平団地方面から小金井方面に右折進行する車両等の有無およびその動静に全く注意を払わず、志木街道を本件交差点に向けて北進してきた車両が徐行し停止しはじめたことのみを認めて、漫然志木街道を田無市方面から小平団地方面に向けて横断しようとしていた勝美ら学童に対し、手旗および口頭で横断開始の合図を行なつて同人らを横断させた過失により、折から本件交差点を東久留米市方面から小金井方面に向けて直進してきた被告石坂運転の前記自転車に勝美を衝突させ本件事故を惹起せしめた。

3  (被告らの責任)

(一) 被告石坂、同神谷は、それぞれ前記過失により本件事故を惹起せしめたものであるから、民法第七〇九条、第七一一条、第七一九条により、

(二) 被告三井は、小平市立第八小学校の校長であり、被告神谷の直属の上司として、同人が学童交通擁護員としての業務に従事するにつき指揮監督すべきものであるから民法第七一五条第二項により、

(三) 被告小平市は、

(1) 被告神谷の使用者であり、本件事故は被告神谷の業務の執行中前記2(二)の如き過失により発生したものであるから、民法第七一五条第一項により、

(2) また被告神谷の学童交通擁護員としての業務は学校安全教育乃至学童生活指導の一部として学校教育特に小学校低学年の児童生徒に対する学校教育活動の一環として行なわれるものであつて、公立小学校という公の営造物利用の関係であり、特別権力関係に属する側面を有しているから、右業務の執行につき被告神谷の前記過失により生じた損害を国家賠償法第一条により、

それぞれ本件事故によつて蒙つた原告らの損害を賠償する責任がある。なお、被告小平市については、右3項の(三)の(1)、(2)の各請求を択一的に行使する。

4  (損害)

(一) 治療関係費用

勝美は本件事故発生直後である昭和四六年九月一〇日午前九時ごろから死亡の時(同月一五日午前一一時一二分)まで医療法人社団健育会桜堤病院において入院治療を受けたため、原告勝男は左の損害を蒙つた。

(1) 診療費 一七万一七三〇円

(2) 家族付添費 六〇〇〇円(五日間)

(二) 葬祭関係費用

原告勝男は死亡した勝美の葬儀および初七日、四九日供養等の費用として合計六〇万円を下らない経費を支出したが、そのうち三〇万円は本件事故と相当因果関係のある損害である。

(三) 逸失利益

原告両名は当時一人息子であつた亡勝美を大学へ進学させて将来は知的職業人にしたいという強い希望を抱いて共稼ぎをしていたものであり、勝美も健康で快活な少年であつて成績も上位のほうであつたから将来において大学に進学し、その結果満二二才より満六三才までの四一年間稼働し得た筈である。この間、大学卒男子平均賃金の月額四万一二〇〇円と年間特別給与金(賞与等)一六万一八〇〇円の一年間合計五八万五八〇〇円の収入を得、その生活費は収入の二分の一で足りるものと推認される。以上に基づき中間利息を控除して死亡時における勝美の逸失利益の現価を求めると三九五万六〇五三円となる。

(四) 亡勝美本人の慰藉料

本件事故が通学途中の、しかも学童交通擁護員の横断開始の指図に従つた結果発生したものであること、亡勝美は当時満八才の健康な将来性豊かな少年であり、一人息子であつたので両親の愛を一身に受けていたこと等を考慮すると亡勝美自身の蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇〇万円が相当である。

(五) 原告両名の慰藉料

原告らは当時一人息子であつた亡勝美を中心にした家庭生活を送つていたところ、本件事故により右勝美を奪われ多大の精神的苦痛を蒙つた。右苦痛を慰藉するには原告ら各自一五〇万円が相当である。

(六) 弁護士費用

原告らは再三にわたり被告らに対し本件事故の責任を追求したにもかかわらず、被告らは問題の解決に誠意を示さず、やむなく原告らは弁護士池谷昇に本件訴訟の提起を依頼し、着手金として二五万円支払い、かつ、成功報酬金として勝訴金額の各一五パーセントを支払うことを約した。よつて弁護士費用として原告勝男は四〇万円、原告美登子は三五万円を下らない金額をそれぞれ負担しなければならず、右同額の損害を蒙つた。

5  (一部弁済)

原告勝男は被告石坂より本件事故による損害の弁済として三一万円の支払いを受けた。

6  (相続)

原告両名は亡勝美の両親であり、同人の損害賠償請求権(4(三)、(四))を各二分の一宛相続した。

7  (結論)

よつて、被告ら各自に対し、原告勝男は4の(一)(二)(五)(六)の損害金から5の弁済額を控除し、これに亡勝美から相続した4の(三)、(四)のそれぞれ二分の一を加えた額である五〇四万五七五六円、原告美登子は4の(五)、(六)の損害金に4の(三)、(四)のそれぞれ二分の一の相続分を加えた四八二万八〇二六円およびこれら各金員に対する本件事故による損害の発生した後である昭和四六年九月一六日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告石坂の認否)

1 請求原因1(一)、(二)の事実は認める。

2 同2、(一)の事実は否認する。

3 同3(一)は争う。

4 同4の各損害額は争う。

5 同5の事実は認める。

6 同6のうち原告両名が亡勝美の両親であることは認める。

7 同7は争う。

(被告小平市、同神谷、同三井の認否)

1 請求原因1(一)(二)の事実は認める。

2 同2(二)のうち、被告神谷が通称「緑のおばさん」と称せられる学童交通擁護員であり、本件事故当時、小平市立第八小学校に配属されて、学童の登下校時本件交差点を中心に通学途中の学童の安全を確保する業務に従事していた者であることは認めるが、その余については争う。とくに被告神谷の勝美に対する誘導には何らの過失もない。本件事故の態様は次のとおりである。すなわち、被告神谷は、本件事故発生当日の午前七時五五分ごろから学童の交通の安全を確保すべく、本件交差点の別紙図面(イ)の地点に立つてその職務に従事していたが、午前八時一四分すぎごろ、田無市方面から小平団地方面に通ずる鈴木街道の別紙図面(2)の自動信号機が停止(赤)信号であつたので学童が飛び出さないよう注視し、所持していた黄色の手旗信号を志木街道に平行水平に掲げて学童の飛出しを制止する態度を示しつつ本件交差点付近の交通状態を注視していたところ、まもなく同交差点の別紙図面(3)の自動信号機も停止信号となり、同時に同交差点の交通がとだえ、まもなく前記(2)の信号機が進行(青)信号となつた。そこで、被告神谷は、別紙図面(ロ)点に待機していた勝美の横断を誘導するため、手旗信号を進行方向に振り、ついで右手旗を志木街道に直角水平に掲げ、勝美の通行する横断歩道に車両等が進入するのを制止する姿勢をとりつつ、勝美の横断を見守つていたところ、同人が別紙図面(ハ)の地点に差しかかつたところ、志木街道を東久留米市方面から小金井方面に向かい、自転車に乗つて進行してきた被告石坂が、別紙図面(1)の自動信号機の注意(黄)信号および停止信号を無視し、かつ前方不注視のまま時速約二〇キロメートルの速度で本件交差点に進入してきて、勝美に衝突した。被告神谷としては、勝美の横断に注意を払つていたため、停止信号を無視して自転車が暴走して来るとは全く予想もせず、自転車が勝美に衝突する寸前にこれに気付いたものの、瞬間時のことであり、これが衝突を防止することは不可能であつた。本件事故はすべて被告石坂の過失によるものであり信号を無視して交差点に進入してくる車両等のあることは通常予想し得ず、前記のとおり信号機に従つて勝美の横断を誘導した被告神谷には信頼の原則からいつても過失があるとは到底言い得ない。

3 同3(一)は争う。

同3(二)のうち、被告三井が小平市立第八小学校の校長であり、被告神谷を監督する者であることは認め、その余は争う。

同3(三)(1)、(2)のうち、被告小平市が被告神谷の使用者であることは認め、その余はいずれも争う。

4 同4についてはいずれも不知。

5 同5は認める。

6 同6のうち、原告両名が亡勝美の両親であることは認める。

7 同7は争う。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因1(一)、(二)の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで本件事故の原因につき判断する。

被告神谷が通称「緑のおばさん」と称される学童交通擁護員であり被告小平市の職員であること、本件事故当時被告神谷は小平市立第八小学校に配属され、学童の登下校時本件交差点を中心に通学途中の学童の安全を確保する業務に従事していたことは当事者間に争いがない。〔証拠略〕を総合すると、本件交差点は、歩車道の区別のある車道幅員約六メートルの南北に通ずる道路(志木街道)と、同じく歩車道の区別があり車道幅員が約一〇メートルの東西に走る道路(鈴木街道)がほぼ直角に交差する場所であり、比較的交通量が多くいずれの道路もアスフアルトで舗装されていること、本件交差点には別紙図面(1)ないし(4)の地点にそれぞれ自動信号機が設置されており、そのうち同図面(1)、(3)の信号機の信号サイクルは、青色四〇秒、黄色三秒、赤色三〇秒(うち全信号機が赤色になるのは二秒)であり、同図面(2)、(4)の信号機のそれは、青色二五秒、黄色三秒、赤色四五秒(うち全信号機が赤色になるのは二秒)であつて、本件事故発生時、これらの信号機はいずれも正常に作動していたこと、本件交差点には出入口部分に横断歩道が設けられているが、南北出入口の横断歩道はいずれも幅員が約四・三メートルあり、北側の横断歩道の北側端から南側横断歩道の南側端までの距離は約二五・五メートルであること、本件事故発生の直前、通学途中の被告石坂は、本件自転車を運転して志木街道を東久留米市方面から小金井方面に向つて本件交差点を通過すべく時速約一五キロメートルの速度で進行し、本件交差点の北側の横断歩道にさしかかつた時図面(1)の信号が青色から黄色に変わつたこと、しかし被告石坂は、学校の始業時間に間に合わせるべく急いでいたこともあつて交差する道路(鈴木街道)の車両等の通行がはじまる前に本件交差点を通り抜けることができると考え若干加速して本件交差点に進入し、交差点中央付近を通過した地点で対面の信号(前記(1)の信号)が黄色から赤色に変わつたのにかかわらず、同人はとくに前方を注視することもなくさらに速度をあげてそのまま進行を続けたこと、一方被告神谷は、本件事故当日、本件交差点の南東隅の歩道上(別紙図面(イ)付近)に立つて午前七時五五分ころから学童の横断等を誘導していたが、本件事故発生直前同図面(2)の信号が赤色を呈していたので、田無市方面から小平団地方面に向つて本件交差点の南側横断歩道を渡ろうとしていた通学途上の勝美を一旦別紙図面(ロ)点付近に待機させ、前記(2)の信号が赤色から青色に変わるのを待つて左手に持つていた黄色の手旗を右手に持ちかえ西方(小平団地方面)に向けて水平に出すとともに「はい、渡りなさい。」と言つて勝美に横断開始を促がし、これに従つて勝美は走るように横断を開始したこと、他方速度をあげて本件交差点を通過中であつた被告石坂は南側横断歩道の直前に至つて被告神谷の出した黄色の手旗に気づきただちに急制動の措置をとつたが間に合わず、前記のように走るように横断を開始した直後の勝美に本件自転車を衝突させたこと、被告神谷は右衝突の寸前になつてはじめて被告石坂の自転車に気がついたが、何ら衝突回避の措置をとる間がなかつたこと、以上の事実が認められ、〔証拠略〕中右認定に反する供述部分は前掲採用各証拠に照らしてたやすく措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

ところで、交差点の対面の信号が赤色を示している場合、車両を運転してその交差点内を進行しようとする者には、前方を注視し、とくに交差する道路の車両、歩行者等の動静に十分注意して、交差点内に進入するものがあるときはいつでもこれとの衝突を回避できるような態勢をとりつつ慎重に運転すべき注意義務があるというべきところ、前記認定によれば、被告石坂は、本件交差点を進行中すでに対面の信号が赤色に変わつたのであるから、交差道路から本件交差点に進入する車両や横断歩道を横断する歩行者等の存在が十分予想される状況になつたにもかかわらず、とくに前方に注視することもなく速度をあげて右交差点を通り抜けることのみに意を注いで進行したため、衝突直前になつてはじめて被告神谷の手旗信号に気づいたが間に合わず、勝美に自車を衝突させているのであつて、被告石坂には前記注意義務に違背した過失があるものといわざるを得ず、右過失が本件事故の重大な要因であることは明らかである。

次に被告神谷の勝美に対する横断の誘導方法に過失があつたか否かについて検討するに、学童の交通の安全を図ることを業務とする者が本件のような交差点において、勝美のような小学校低学年の学童の横断を誘導するような場合には、小学校低学年の学童は誘導者の誘導に盲従しがちなのであるから、交差点の信号を確認することは勿論であるが、さらに交差点の状況が学童の横断にとつて危険のない状況にあるか否かについての確認をし、とくに信号の変り目にあつては、黄色の信号で交差点に進入した車両等が、信号が変つた後もなお交差点に残つている場合もあるのであるから、これらの車両等の有無およびその動静には十分注意したうえで横断を誘導すべき業務上の注意義務があるものと解すべきである。ところで、前記認定の事実によれば、被告神谷は、交差点中央方向より南側横断歩道に向つて進行してきた被告石坂の自転車を、同車が横断をはじめた直後の、勝美に衝突する寸前になつてはじめて発見し、それまで右自転車に全く気がつかずにいたことが認められる。被告小平市、同三井、同神谷は、被告神谷は別紙図面(2)の信号が青色に変つてから、南方(小金井方面)は勿論、北方の交差点内の状況も注視して車両の接近等の危険な状況が何らないことを確認したうえで横断の誘導をなしたと主張し、右主張に副う〔証拠略〕中の同人の供述記載部分がある。しかしながら、前記認定したところによれば、被告石坂の自転車が本件交差点の北側の横断歩道にさしかかつたときに別紙図面(1)の信号が青色から黄色に変つており、黄色信号の時間が三秒間、全部の信号が赤色になるのが二秒間なのであるから、同図面(2)の信号が赤色から青色になる時点においては、時速約一五キロメートルから交差点内において速度をあげつつあつた被告石坂の自転車は、本件交差点内を南側の横断歩道に間近に接近していたと推認されるところ、仮に被告神谷が同図面(2)の信号が赤色から青色に変つた後に交差点方向を確認したとすれば容易に右被告石坂の自転車を発見しえた筈である。しかるに前記のように被告神谷は誘導開始前にこれを発見しておらず、衝突寸前になつてはじめて発見しているのであるから、誘導開始前に交差点内の状況を確認したとする〔証拠略〕はいずれも措信し難く、かえつて前記認定の事実関係からすると、被告神谷は交差点内の状況を十分に確認することなく勝美に対し横断を誘導したことが推認される。はたしてしからば、被告神谷の右誘導には前記注意義務に違背した過失が存すると解さざるをえず、右過失ある誘導もまた本件衝突を惹起させた一因と断ぜざるをえない。

三  結局本件事故は被告石坂と被告神谷との前記過失が競合して惹起されたものであるから、右被告両名はそれぞれ民法第七〇九条、第七一一条、第七一九条により本件事故により生じた損害を賠償する責任がある。

被告小平市が被告神谷の使用者であること、および被告三井が本件事故当時小平市立第八小学校の校長であつて同校に配属されていた被告神谷の監督者であつたことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、被告神谷は同人の業務につき被告三井から指図を受けていたことが認められる。しかして本件事故が被告神谷の業務執行中に被告神谷の過失を一因として惹起されたものであることは前記二のとおりであるので、被告小平市は民法第七一五条第一項により、被告三井は同条第二項により、それぞれ本件事故により生じた損害を賠償する責任があると解すべきである。(なお、被告神谷の業務は本件争いのない事実および証拠により認定し得る事実をもつてするも公権力の行使にあたるものとは解せられない。)

四  そこで本件事故により生じた損害について検討する。

1  〔証拠略〕によれば、亡勝美は本件事故の発生した昭和四六年九月一〇日より同人が死亡した同月一五日まで医療法人社団健育会桜堤病院に入院して治療を受け、そのため原告勝男は同病院に診療費として一七万一七三〇円を支出したことが認められる。

2  〔証拠略〕によれば、原告勝男は、亡勝美の葬儀、供養に関して少なくとも三二万〇九三〇円を支出したことが認められるが、その支出の内容、亡勝美の年令等を考慮すると葬儀等に要した費用のうち二五万円をもつて本件事故と相当因果関係のある損害と解するを相当とする。

3  亡勝美が死亡当時満八才の男子であつたことは当事者間に争いがない。とすると、本件事故にあわなければ満一八才から満六三才に至るまで四五年間稼働し、この間少なくとも年間五八万七〇〇〇円(昭和四六年度賃金センサス参照)の収入を得、生活費にその五割を要するものと推認される。そこでこれを原告らの主張する範囲内である稼働期間四一年間、年間収入五八万五八〇〇円に各引下げたうえ右をもとに一年毎のホフマン式計算法で民事法定利率年五分の中間利息を控除して亡勝美の過失利益の死亡時における現価を計算すると少なくとも原告主張の三九五万六〇五三円を下らないことが認められる。

4  前記争いのない事実、〔証拠略〕によれば本件事故により死亡するに至つた亡勝美は勿論、本件事故により同人を失なつた原告両名の精神的苦痛は容易に推認し得るところであり、本件にあらわれた諸般の事情を考慮すると、亡勝美の精神的苦痛は一〇〇万円、原告両名の各精神的苦痛はそれぞれ八〇万円をもつて慰藉するのが相当である。

5  〔証拠略〕によれば、原告らは本件訴訟の提起を弁護士池谷昇に依頼し、着手金として二五万円を支払い、謝金として勝訴額の各一五パーセントを支払うことを約束したことが認められるが、本件事案の性質、訴額、認容額等を考慮すると本件事故と相当因果関係のある損害としての弁護士費用は、原告勝男につき三五万円、原告美登子につき三〇万円とするのが相当である。

五  被告石坂が原告勝男に本件事故に関して三一万円を弁済していることは当事者間に争いがない。

六  原告両名が亡勝美の両親であることは当事者間に争いがないので、原告両名は亡勝美の損害賠償請求権を相続したものと認められる。

七  以上によれば原告らの本訴請求は、被告ら各自に対し、原告勝男が前記四の1、2、4、5の損害金合計から前記五の弁済額を控除しこれに亡勝美からの相続分(前記四の3、4の二分の一)を加えた三七三万九七五六円とこれに対する損害発生の後である昭和四六年九月一六日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、原告美登子が前記四の4、5の損害金に亡勝美からの相続分(前記四の3、4の各二分の一)を加えた三五七万八〇二六円とこれに対する損害発生の後である昭和四六年九月一六日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、それぞれ求める範囲で理由があるからこれを認容し、その余の請求については失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第九三条を、原告らの勝訴部分に対する仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西岡徳寿 新田誠志 大橋弘)

別紙 <省略>

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